城西台中学2年3組の教室は朝のホームルームを前に少年少女たちのにぎやかな声で溢れていた。

天気は快晴。5月としては汗ばむ陽気だ。

「もう、純ちゃんったら、どうして黙って先に行っちゃうのよ! 純ちゃんのお弁当大きいから、持ってくんの重くて大変なんだよ!」

小柄の、いや中学生として益々小柄な制服姿の少女が、一人の長身の男子生徒にそう言いながら、可愛い花柄のナフキンに包まれた大きな弁当箱を手渡した瞬間、周囲の男子たちから「ヒューヒュー」と冷かしの声が沸いた。それが不愉快だったのか、長身の少年は、少女に差し出された弁当を受け取ろうともせずに、ムスッとした顔をして教室を出て行こうとする。

「あ、ちょっと、純ちゃんたらぁ。もうすぐホームルームが始まっちゃうよお」

そう言って慌てて教室の外へと出て行った少年の後を追い掛ける少女。ボーイッシュで短めながらも甘栗色のサラサラの髪を揺らせて、スキップ調で軽快に少年の後を追った。すると、少年は教室を出てすぐの廊下で、少女が追い掛けてくるのを待っていた。

「あのなあ美和、俺は昔みたいに竹下たちと登校したいんだよ。転入してきてからもう一ヶ月経つだろ? そろそろ女友達の一人も出来た頃だろ? そいつと登校したらどうなんだよ」

そんな少年の突き放した言葉に少しもめげず、神口美和は笑顔を浮かべながら言った。

「えへっ、ヤダよおーだ。だってあたし、純ちゃんのことが大好きなんだもん。純ちゃんだって、好きな女の子と一緒に登校するのに、何でそんなに嫌がるのお? だいたい、もうすぐ一緒に暮らすことになるんだし、親も公認なんだよ」

「ば、バカ、だからそれは親たちの勝手な話だろうが! 外国に引っ越してって、五年ぶりに戻ってきて、急にそんな好きとか嫌いだとか言ってもだな、――!?」

精一杯に踵(かかと)を浮かせて、身長が遥かに伸びて大きくなった幼馴染の顔を、下から上目遣いに覗き込んでいく少女。その瞳には険が宿っている。が、それはすぐに朗らかな笑顔へと変じた。

間近にまで顔を近付けられて、穏やかな笑顔で見詰めてくる幼馴染の突然のそんな行動に、「純ちゃん」こと『山本純平』は慌て、いささか赤面して顔を背けた。そんな姿に、神口美和は改めて「脈」を感じ取るのだった。

「うふ、今の純ちゃんってホント素直じゃないなァ・・・・。幼稚園の頃は、あんなに素直な子供だったのにぃ。でも、きっと今は反抗期ってところなんだよね。今日は許してあげるとするかな。でも、明日からはいつも通りに私と登校するんだよ」

「だ、だから俺は今までお前じゃなくて竹下たちと、、」

そう純平が言い終わらないうちに、またしても美和がその顔を近付けて来た。

「駄目駄目、あたしのお母さんと約束したでしょ? 美和のことよろしくねってお母さんが言ったら、純ちゃん『はい』っていったもんね。良かったよね、中学生のうちからこんなに可愛いフィアンセがいるのは純ちゃんくらいだぞ」

美和はそう言って屈託の無い笑顔で純平の腕に抱きついた。

「こ、こら、やめろって!」

ますます純平は慌てて、顔を真っ赤にした。

そんな二人のじゃれ合う姿に咳払いが届く。

「ゴオッ、ン、ウッホン・・・・、早く教室に戻りなさい」

「げ、ヤバ・・・・」

担任の秋山だった。

気が付けば廊下に出ている生徒は純平と美和の二人だけだった。二人は身をすくめながら、いそいそと教室に戻った。

 


 

「ときめきLOVEレッスン」

 

岳瀬浩司 著

 

 

本作品の著作権は上記の著者に属します。よって無断転載及び本文からの引用は、これを固くお断りします。個人の家庭内での購読目的に限り、印刷及び仕様の変更を許可するものとします。〈ジュピターインターノベルズ〉

 


 

★レッスン1

 

 夕暮れの迫る街路。スラッと背の高い純朴そうな少年と小柄な美少女が並んで歩いている。山本純平と神口美和の二人である。

「お、おい、もっちょっと離れて歩けよ」

ふと気を許せば引っ付き合うくらいの距離まで身を寄せてくる美和に、照れながらそう言って突き放そうとする純平。プクゥと頬を膨らまして、純平のつれない態度に抗議の表情を見せる美和。

最近の学校の帰りはいつもこんな調子だ。小学校の四年間と中学一年間をアメリカで過ごした美和は、以前よりも更に明るく活発で、幼稚園の頃そのままに自分の気持ちをいたって素直に表現する。周囲がどうとか、余り周りのことは気にしない。そんな幼馴染の積極性に気圧された格好で、益々純平は意固地になってきている。

が、理由はそればかりではない。最大の理由は美和の余りの変貌ぶりだ。

五年ぶりに再会した美和に、純平は思わず絶句し、緊張してしまった。余りの美少女へと変貌を遂げていたからだ。しかも、昔同様に自分のことを「純ちゃん」と呼び、昔以上にその好意をストレートにぶつけてきたのである。

まだ中学2年生の純平にしてみれば、ようやく男女というものを意識し始めた矢先の出来事となった。異性として意識すれば意識するほど、「照れ」というものが先に現れてしまう。ましてや、今の美和に異性を意識して仕方が無い。ボーイッシュな短い髪型ながら、端整な顔立ち、膨らみを見せている胸元、小さな手や指、彼女の髪や体からふんわりと香る女の子特有の甘い匂い、そんなすべてをそのコンパクトでスリムな身体に備えて、ややも気を許せば自分に抱き付いてくるのだ。確かに嬉しい反面、そんな嬉しい気持ちを美和に気付かれるのも格好が付かない。ましてやクラスの仲間にも知られたくなかった。

どうやらクラスメイトたちの異性に対する意識も、多かれ少なかれ男子女子共に純平のような感じだ。男子と女子で対立することこそ無いが、男子と女子との間に境界線のようなものが存在している。同じクラスメイトとは言え、男子生徒と女子生徒が教室内で言葉を交わしているところを目撃することは滅多に無い。今日みたいに冷やかされるのが落ちだ。

「あ〜あ、せっかく純ちゃんのお嫁さんになる為に日本に帰ってきたのにぃ・・・・。せっかくお母さんに頼んでもらって、純ちゃんと同じクラスに転入させてもらったのに、つまんないなあ〜」

「だからさあ、そこから間違えてるんだぞ。いくら幼馴染でも、そんな理由で俺と同じクラスにしてもらったり、自己紹介の途中で、何で教室の一番後ろの席の俺んとこまでやってきて、いきなり俺に抱き付いてきたんだよ! そりゃクラスの皆から浮くはずだって」

既に一ヶ月以上も前の話だったが、純平は始業式だった日の出来事を結構根に持っている。何しろ、その始業式の日に純平と美和は再会した訳ではなく、美和があんなにオーバーに感激して抱き付いてきたのも、あの日で既に五度目だったからである。美和と純平が五年ぶりに再会したのは、神口家がアメリカから戻ってきた日、春休みのことだった。

母親と共に美和が山本家に挨拶に来た際のこと。その時も背の小さな美和が、ジャンプしてまで背の高い純平の胸に抱き付いてきたのだ。アメリカ独特のオーバーな感情表現だろうか、美和の母親は驚く様子も見せず、終始笑顔で、むしろ純平の父親の方が、息子に年頃の娘が抱き付いていったのを見て絶句してしまっていた。

かつても山本純平と神口美和の家は隣り同士だった。二人は幼い頃からの幼馴染であり、両家とも家族ぐるみの付き合いだった。

そして、そんな両家には共通点があった。純平の父は有名なピアニスト、そして美和の父も母も一流のバイオリニスト、つまりそれぞれが音楽一家だったのだ。

しかし、美和の父親が病死してから一年が過ぎた頃、母親がアメリカに活動の拠点を移すことになったのをきっかけに、美和は母親と共にアメリカに引っ越していったのである。美和と純平が小学二年生の頃の話だ。

それ以後、神口邸は不動産屋を通して賃貸物件とされ、ずっと他の家族が住んでいたのだが、昨年に引っ越して行き、今年の春になって再び本来の所有者である神口母子がアメリカから戻って来て、暮らすこととなったのである。

ところが、純平にはその先に驚くべき展開が待ち受けていた。何と美和の母と純平の父が、今年の秋にも結婚することが既に決まっていたからだ。

純平の母は、彼が幼い頃に既に亡くなっており、父はずっと独身を通していた。渡米した美和の母と密かに交際していたことなど、純平にしてみればまさに寝耳に水のことだった。

こうして今年の春になって、山本家は隣に舞い戻ってきた神口家と再び家族ぐるみの付き合いをスタートさせることとなった。秋から一つの家族になる為、双方の年頃の子供たちのことを気遣った準備期間でもあるらしかった。神口邸は秋を目処に売却されることも既に決まっている。

純平の家は広い豪邸だ。美和親子が増えたところで大した不都合は無い。それどころか純平は最近、美和親子がこまめに自分たちの世話をしてくれるようになって、これまでの男所帯の殺風景さというものにつくづく気付かされる毎日となっていた。家に女性が居るだけで、家の中の空気が華やぐのを毎日のように肌で実感している。

しかし、純平は美和の余りにも明るくオープンなその性格にだけには、今も困惑することの方が多い。好意を抱いてくれているのは、確かに照れはするものの、まんざらでもない。が、最近、純平と美和の親同士の間で、本気なのか冗談なのか、夕食の席などで純平と美和の婚約話までが待ち上がっているのだ。しかも、そんな親たちの話を前にして、美和が嬉しそうに同意するものだから、本当に冗談では済まされなくなりつつあるのだ。

一流バイオリニストである母親の才能を引き継ぎ、更にはそんな母親から直接音楽教育を受けて育ってきた美和は、既にアメリカのバイオリンのコンテストで何度も入賞経験を持つまでになっていた。が、残念ながら純平には、ピアノの才能はなかった。ピアノが余り好きになれなかった。四歳の時に無理やり通わされていたピアノ教室も、五歳になる前に辞めていた。以来、ピアノの前に座ったこともない。むしろ純平は読書が好きで、将来は童話作家になることを夢見ていた。

そんな純平には、現在浪人中の五つ年上の兄がいるが、こちらも音楽の才能とは無縁。父譲りの長身とて同じだったが、スリムな純平と違って、かなりの肥満体だ。アニメが好きらしく、部屋の中はアニメの美少女キャラのポスターだらけ、予備校にも通わず、部屋に閉じこもりっぱなしだ。そして最近は、フィギィアという人形をせっせと集めている様子である。それに、二つの家族が親睦を深めるための夕食の席にも、まったく合わせようとせず、美和の母親を少々困らせている。たまにダイニングルームに顔を出しても、まったく無言のまま一人食事を終えた後は、『ごちそうさま』のひと言も無く、自分の部屋に戻ってしまう。美和が気を遣って色々と話し掛けても、美和の顔すら見ようともせず、ぶっきらぼうな返事しかしない。二つの音楽一家で最も異端な存在だった。

純平の兄がそんな兄だけに、華のある話題で団欒の場を盛り上げたいらしく、決まって純平と美和の縁談話に流れる。そして、いつしか純平の弁当は美和が作ることになり、山本家の家族の洗濯物とて、美和がするようになった。つまり、今や純平のブリーフを美和が洗っているのだ。

余りにも殺風景だった男所帯の生活が今や、華やかな美和の色に染まっている。トイレのペーパーが三角折されているのを何気なく目に留めただけでも、純平は癒されたような気持ちに包まれる。確かに音楽エリートとして早くもその才能を開花させている美和に、純平とてコンプレックスを抱かない訳は無い。それに美和は余りにも元気が良すぎて、このままだと中学生のうちからその尻に敷かれかねない。背は小さくてもピョンピョン飛び跳ねる小鹿のようだ。そして、アメリカ暮らしが長かったことが影響したのか、何事もオープンで感情表現が大袈裟なことこそが、今や最も純平を困惑させている。学校でも家の中でも、まったく同じなのだ。今日もそれが改まった様子はまったく見られなかった。

「だってさ、あの時、同じ教室の中にちゃんと純ちゃんが居るのが判って嬉しかったんだもん」

「だから当たり前だろ。お前んとこの親が、お前が日本の生活に不慣れなもんだからとか何とか言って、俺のいる3組に編入するように申し込んだんだから。それにその後だって問題だぞ。お前その身長で後ろの席に座ったら、黒板なんか見えないだろ。何で無理やり俺の隣りに来るんだよ」

純平は思い出したようにそのことを美和への文句に付け足した。一年生から二年生へ進級する際、クラス替えは行なわれない。席順というものはおよそ身長で決められていたから、背の高い純平は教室の最後列の席で過ごすことが多かった。そして新学年最初のホームルームは席替えだった。が、それは編入してきた美和のためでもある。当然、美和の身長からすれば教室の最前列となるのが普通だから、クラスのほとんどが後ろに繰り下がるなりして、ちょっとした大移動となる筈だった。

ところが、美和は何と物怖じすることなく、皆の前で担任に、純平の隣りの席にして欲しいと願い出たのである。しかも茶化し始めた男子たちの冷かしなどにまったく動じることもなく、担任の許可を得る前に、何と教室の最後尾に用意されていた自分の机とイスを、その小さな体で懸命に持ち上げて、純平の座る席の横に引っ付けてしまったのだ。

担任も困惑の色を隠せないでいたが、帰国子女ということで当面はそれが認められることとなった。整然と机の列が並ぶ教室の最後部で、昼食の時間でもない授業中にまで二つの机が引っ付き合っているという現在の異常な光景がこうして生まれた。が、間違いなくこの出来事が原因で、美和はクラスの女子たちからひんしゅくを買い、女子グループの輪に入っていけなくなった。勿論、純平もクラスで浮いた存在になってしまった。純平が一番仲の良かったクラスメートの竹下陽一さえも美和に遠慮しているらしく、今やすっかり純平との付き合いに距離を置くようになってしまっていたのだ。

「もう、そんなに怒んないでよう。どうせ黒板の字だって半分も読めないんだし、黒板見ているより純ちゃんのことを見ている方がずっと幸せなんだもん。それに純ちゃんの彼女だってこと、皆にちゃんとアピールしたかったんだもん。純ちゃんに変な虫が付かないようにね」

これだけ流暢な日本語が話せておいて日本語が読めないというのも眉唾ものだが、照れもなく平気でそう言ってのける美和の一途さに、思わず顔が赤くなったのは純平の方だった。そんな照れを掻き消そうとするかのように、咄嗟に否定的な言葉が口から衝いて出た。

「だから、あのなあ。俺とお前は付き合ってるのとは違うんだぜ。俺んちとお前んちの親たちが何を盛り上がってるのか知んないげど、親たちがまだ結婚していない今は、お前と俺は単なるお隣りさん同士の幼馴染!」

(うわ、やばい)

美和の顔がたちまちショックで強張ったのが、乙女心に鈍感な純平とてすぐに判った。

「ウッ、そんな・・・・酷いよ、純ちゃん・・・・」

「お、おいっ美和っ!」

(あちゃ〜、ちょっとキツく言い過ぎたかな・・・・)

涙ぐんだ様子でパタパタと走り去っていった美和の後を追い掛けようと一瞬は思ったものの、純平は思い留まった。こんな感じで嘘泣きに騙されたことが今月に入ってからでも既に二回あったからだ。

(でもなあ・・・・、あそこまで俺のこと一途に思ってくれてるんだし・・・・、この調子じゃ、いつか本当に俺は美和と・・・・)

そう考えながら思わず顔が緩んでしまっている自分に気付き、ピシャリと両手で頬を叩いて喝を入れ直す純平。

確かに美和は可愛くなった。それに自分にとって初めてのガールフレンドでもある。小学生の頃の話ではあるが、本当に結婚の約束までしていたのだ。そのことを美和は純平以上にしっかりと覚えており、しかもその約束は今も確かなものだと信じきっている様子なのだ。

純平の父親にしても、美和にはかなり甘い。純平が同席していようがお構いなく、美和が山本家の嫁にくるものと決まっているような会話を笑いながら当の美和と平気でしている有り様だ。孫は男の子が欲しいだとか、ピアニストに育てようだとか、好き勝手な話題で盛り上がっている。だからこそ純平は複雑だった。これでもし美和と本当に結婚して子供を作ることにになれば、音楽家の子孫の輩出を目論んでいる父の完全な操り人形だ。

「あ〜あ、これが麻美ちゃんだったらなあ・・・・」

純平はポツリとそう呟いた。

純平の漏らした「麻美」とは、同じクラスの「藤塚麻美」のことである。純平とは小学校が別だった為に、中学に入学し、同じクラスになって初めて彼女の存在というものを純平は知ることとなったのだが、ポニーテールの髪型がとても印象的で、クラスの女子たちの中でも、ひときわ輝いて見え、その女の子っぽい雰囲気にひと目で恋に落ちてしまった。想い続けてはや一年余り。かつては同じ図書委員を務めたこともあり、その際はより身近に彼女の存在を感じたものだった。しかし、告白する勇気が持てぬまま純平は、美和が再び自分の前に現れるまでの間、彼女のことを遠くからじっと見詰めるだけの切ない日々をずっと過ごしてきたのである。

そんな藤塚麻美の存在が、美和からの積極的なアプローチを心から喜べない原因でもあった。片思いなのだから、自分の中で踏ん切りさえ付けられれば、どれだけ楽だろうとも思う。しかし、一年以上も募らせ続けた藤塚麻美への想いは、もはや完全に自分でも否定できぬものとなってしまっている。いや、一年の三学期の頃には期待すら抱くようになりつつあった。教室の後方の席にいる自分と、教室の中ほどの席にいる彼女と、ちょくちょく目が合ったりするようになっていたからだ。良い方向に解釈すれば、彼女も自分のことを意識してくれているとも受け取れる素振りだと思えた。だから春休みに入る前に、思い切って気持ちを告白しようと考えた。だが、土壇場で勇気が出せなかった。やはり彼女の美貌に足がすくみ、こんな冴えない自分には余りにも高嶺の花のように思えたのだ。

だが、それで恋そのものを諦めきれるものではなかった。純平だってチャンスはあると思っていた。二年生になっても彼女と同じクラスであることは決まっていたからだ。だから春休みが終わり、二年生になったら必ず告白しようと決心していた。

しかし、今や美和の突然の出現で、チャンスも望みも完全に潰えかけている。純平の本当の気持ちなど関係なく、新学期早々から純平と美和の仲はクラスですっかり公認されたものとなってしまっている。

新学期に入ってから藤塚麻美と目が合うことは無くなってしまった。それに、すぐ隣りに美和が付いていては、藤塚麻美の方を気にしてばかりはいられない。「ほら、何よそ見してんのよ、黒板はあっちでしょ!」といって耳を思いっきりつねられる。これが結構痛い。しかし、痛いことより、美和にだけは感付かれたくない。美和が傷付くのは明白だ。それだけは何とかして避けたい。だが、そうなると、もはや藤塚麻美への想いは絶望的だ。まさに八方塞がりだった。

「やっぱ、これが運命ってもんなのかなあ・・・・」

藤塚麻美と出会って一目惚れした時にも、そんな運命的なものを感じた純平だった。「君、ちょっと都合が良すぎないか?」という声が天から降ってきそうだ。

そんな時、純平の背後から聞き覚えのある女子の声が掛かった。

「よう山本、今日は珍しく一人でお帰りかい?」

何とも男っぽい独特な口調。となれば、声の主は同じクラスの工藤翔子だ。

「あ、ああ」

返事しながら振り返ると、やはり同じクラスの工藤翔子だ。クラス女子たちのリーダー格的な存在。男子たちから陰では『姉御』と呼ばれ恐れられている。

美和のことで何か文句を言われるのだろうと思わず身構えた純平だったが、工藤翔子のすぐ後ろに隠れるように立っている女子生徒を見止めて、口から心臓が飛び出そうになった。

(―――麻美、チャン―――!)

工藤翔子の後ろに隠れるように立っている藤塚麻美の姿を見て、驚きと緊張を隠せない純平。が、そんな自分の心の動揺を見透かされまいと、敢えて藤塚麻美の方を見ずに、声を掛けてきた工藤翔子の方を見て尋ねた。

「と、ところで、な、何か用?」

「ああ、ちょっとあんたを見込んで相談があるんだけどさ」

純平は近くの公園のベンチに腰掛けて、工藤翔子と藤塚麻美の話を聞くことになった。

「で、俺に相談て何な訳?」

一人ベンチに腰掛け、目の前に立ったままの二人からは顔を背けたまま、純平は切り出した。

「単刀直入に言うけどさ、あんたにまた図書委員になってもらいたいんだ」 

「な、何?」

工藤翔子の言葉に思わず純平の声が上ずった。

「判っちゃいるんだけどさ、どうにか麻美を助けてやって欲しいんだ」

姉御の通称で男子たちからすら恐れられる工藤翔子が、申し訳なさそうに自分に手を合わせて頼み込んできた。更にはそれが藤塚麻美を助けるということなのだから、純平は二度驚いた。

「ちょ、ちょっと待て。話が全然判んない」

工藤翔子と藤塚麻美が小学校時代からの大の親友なのは知っている。二人で登下校している姿はしょっちゅう見ているから、藤塚麻美を連れた工藤翔子に「話がある」と言われても、おそらく美和と自分に対する苦情めいたものと予想して身構えていた。まさかその「相談」が藤塚麻美の方に関するものだとは、純平も夢にも思っていなかった。

「仕方ないからあんたにだけは話すけど、実はさあ・・・・」

そう言って工藤翔子は、藤塚麻美の現在の悩みを純平に語り始めたのである。

デブオタの通称で知られる同じクラスの「河本良彦」からのラブレターが、藤塚麻美の下駄箱に入っていたのは一年生の三学期の時だったそうだ。河本が麻美に交際を申し込んできたらしい。そして、その日の放課後、体育館の裏で待っていると書いてあったそうだった。

麻美は断るつもりであったが、放課後に図書委員の仕事があったので敢えて行かなかったらしい。休み時間に教室で返事を告げることも出来たが、河本の体面を気遣ってそれは避けた。それに面と向って拒絶するのも好意を寄せてくれているクラスメイトに何だか悪いので、行かないことで「NO」の意思を示せると考えたらしかった。

ところが、河本はその後も、ラブレターをしつこく何度も麻美に送り続けてきたそうだ。そこで悩んだ末に麻美は、とうとう親友の工藤翔子にそのことを打ち明けたそうだった。

工藤翔子の動きは素早かった。麻美から打ち明けられた次の朝には、登校途中の河本を麻美を連れて待ち伏せし、麻美が迷惑しているとあからさまな言葉で河本の恋心をバッサリと斬って捨てたそうだ。

ところが、ラブレターは来なくなったものの、その後も麻美は河本の視線に悩まされ続けたと言う。教室に居る間ほとんどずっと河本の視線を浴びているらしかった。河本の視線は、何だか自分が食べられているかのような錯覚を覚えるような濃厚なもので、麻美の体重は2キロも減ったと言う。

純平はそのことを聞いて、冷や水を浴びせられる思いだった。何故なら、一年生の三学期と言えば、河本は純平の隣りの席だったからだ。つまり、純平が意識していた麻美の視線は、河本から投げ掛けられた視線を気にしての、麻美の自然な反応であったとも理解できてしまう。今から思えば、自分と目が合った云々というのは、思い込みが過ぎたのかもしれない。

「でさあ、やっぱりここはあんたを男と見込んで、お願いしたい訳よ」

工藤翔子は、そんな経緯を踏まえて、今回の相談の核心に迫った。

現在、図書委員をしている男子の橋本が、父親の仕事の都合で急遽宮崎県の学校に転校することになった。そこで後任として純平に名乗りを挙げて欲しいということだったのである。

本が好きな藤塚麻美が一年の時からずっと図書委員を続けていることは純平も知っている。そして純平も一年の一学期の時に図書委員を経験していた。童話作家になる夢を抱いていたこともあって、「図書委員」という言葉に高尚なイメージを抱いていた頃でもあり、藤塚麻美に恋心を抱くようになったのも、ちょうどこの頃だった。

しかし、図書委員というのは、純平が抱いていたイメージとはまったく異なっており、実際は図書館での重い本の整理など、結構な重労働だった。特に男子委員の扱いは酷く、辞典や図鑑などの重い書籍が並ぶ棚ばかりを担当させられるのだ。実情を知った男子であれば、誰もやりたがらないのは当然だ。実際、純平も一年の二学期の委員替えで、麻美と一緒に過ごせる機会を惜しみつつも、みずから図書委員に名乗りを上げることはなく、投票で風紀委員に選ばれはしたもののホッとしたくらいだった。

部活をしている生徒は委員の所属を免除される。が、純平は部活をしていない。本来であれば今現在、何らかの委員を務めていても不思議ではないのだが・・・・。

確かに部活をしていなくて、委員にも属していないクラスの男子生徒は、純平を含めて四人残っていた。純平とデブオタの河本、それに長嶋充と加藤良夫。が、このままではデブオタの河本か加藤になってしまうことは純平にも想像に難くない。何故なら長嶋充は登校拒否生徒、そして自分は「訳有り」の立場・・・・。

河本が立候補すれば、そのまま図書委員確定だ。このパターンはどうやら有り得るし、もしも仮に河本が立候補せずに投票となっても、やはり河本が選ばれる確率は非常に高い。図書委員がかなり辛い仕事であることを知ろうが知るまいが、河本にでも押し付けておこうとクラスの男子が思う方が自然だった。

だが、純平は無理があると思った。頼むのなら加藤の方じゃないかと。何故なら、新学期の各委員選出の時、実は純平は保健委員に選ばれかけたのだ。ところが何と、美和の超身勝手な反対意見に男子女子のほとんどが気を遣う形となり、名前が挙がったにも関わらず、純平には一票も入らなかったのである。その後に続けられたその他の委員の選出においても、結局最後まで純平の名前は挙がらずじまいだった。

今回とてそんな展開が容易に予想できた。またしても美和が「まだ日本の暮らしに馴染んでいないから、純ちゃんが傍に居ないと困る」とか言い出し、皆が身勝手な美和の意見に善人ぶった理解を示すことだろう。普通に考えれば、むしろ加藤に相談を持ち込むべきだ。

「でもなあ・・・・また美和の奴が・・・・。それって俺よりも先に加藤に相談した方がいいんじゃないか?」

純平は思ったままそう二人に告げた。しかし、バツが悪そうに工藤が言った。

「それがさあ・・・・、実は加藤も、麻美にラブレター送ってきたクチなんだ。河本よりもマシだけど、麻美にしてみれば加藤も気まずい訳なんだよ」

純平もこれには驚いた。あのお調子者の加藤までが、藤塚麻美に好意を寄せていたという。

「やっぱ麻美に対してニュートラルな人間じゃないと、麻美がやりづらいじゃん」

という訳で、一年の時、一緒に図書委員をやったことのある純平しかいない、ということで相談に来たらしい。純平とて麻美に好意を寄せているのに、相手の麻美にとってはそんな自分への意識が皆無だったことに、少し落胆する思いだった。しかし、美和の登場で更に距離が遠くなった麻美との関係をぐっと接近させる願ってもないチャンスだ。

そんな気持ちとは裏腹に純平はかなり困った顔を二人に見せた。そして、それは自分を取り巻く現在の状況からして、至極自然なものでもあった。

「う〜ん・・・・、でも、やっぱり美和がなあ・・・・」

そこへ、それまで話の進展を親友に任せっぱなしだった麻美が、初めて純平に口を開いた。

「ううん、出来れば神口さんにも手伝ってもらいたいの。そうすれば、当番の時も神口さんと山本君は一緒に帰れるでしょ」

想いを寄せる少女との久しぶりの会話に、純平の心臓は鼓動を早めた。

「そ、そうだな・・・・、あいつも部活してない訳だし、何か一つくらいクラスの役に立つことしないとな」

そう自然と言葉が出た。美和が未だにクラスの女子たちの輪に入っていかないのか、入れてもらえないのかといえば、間違いなく後者だろう。クラスで完全に浮いた存在になっている美和を、クラスの輪の中に溶け込ませるには良い機会だし、これはまさしく正当過ぎる理由付けだった。

「おっ、さすがは可愛いカノジョ持ちの山本君、考えがオトナだねえ」

いつもは口調の厳しい工藤から持ち上げられ、純平は何だかくすぐったさを覚えた。照れを隠すように俯きながらベンチから腰を上げ、緩みそうになる表情を必死に整えて顔を上げた。

「話は判った、美和を説得してみる。でも、まさか俺だって自分から立候補なんか出来ないぜ」

これまた正論だった。確かに麻美を助けるばかりか、彼女との距離を縮める願っても無い話だが、男子の皆が嫌がる図書委員を、みずから買って出るような馬鹿な真似は、恥ずかしくてとても出来る芸当ではなかった。ただでさえ美和の存在によってクラスから浮いてしまった純平にしてみれば、引き受けるにせよ、これ以上クラスの中で目立った行動を取りたくないというのが偽らざる気持ちだったのだ。

だが、「姉御」のニックネームは伊達ではないとばかりに工藤がすかさず返してきた。

「それは心配無用だ。このあたしがあんたを推薦して、クラスの女子全員があんたに投票するって流れだ」

さすがは姉御、と純平は感心した。

こうして美和の居ないところで話はまとまり、純平は麻美らと別れて下校の途に付いたのだった。

だが、終始工藤の後ろに隠れるようにして俯き加減だった藤塚麻美が、話がまとまった後、ずっとその頬を薄く朱に染めていたことも、立ち去る純平の後ろ姿を見詰め続けていたことなど、女心に鈍感な純平が気付くことは無かったのである・・・・。 

 

 

 

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《注意》

この物語はすべてフィクションであり、登場する如何なる人物、団体、国家、人種、地名及び地域等、すべてが架空のものです。また、男性にとって有利とも受け取れる女性の心情に関する心理描写、及び身体機能の記述は、すべてが事実と異なる誤ったものです。

 

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